現実逃避するかのようにたそがれてまちをブラブラ。
すると某家電店のテレビコーナで「三国駅」のPVに出会ったのです。
(いやこれは、ちょっとこのまえ「三国駅」のことを書いてみたら、なんかそれからサーチエンジン経由のアクセスが微妙に増えたから、、だとか、そういうことは一切関係ありません。のであしからず。たぶん。)
そこで、
こ、これは盲点を突かれた…的なシーンに出会いました。
もはやこの年になってそこへ感情移入するには若干、、いや相当に違和感の否めない「高校の卒業式」の場面が、素敵な感じでフィーチャされてるのですけれど。
その壇上の看板に「東宮原川高校」な〜んて掲げられているのです。
それが、aikoさん出身の「宮原にある東淀川高校」を模しているんだってことは、もはや既に多くのブロガーさんたちが言及されてるところなのですが、そこで僕が「やられた…」と感嘆してしまったポイントは、、
宮原と西宮原はあるのに東宮原という字[あざ]がないという、住居表示に関する法律に基づく住居表示整備事業という愚策(古くから由来のある地名をバサバサ消し去り、やたら東西南北を振った陳腐な地名を乱発してしまったetc)のイタイところを突かれちゃったんだよな〜っ…。
…とか、そんな偏屈なコト、行政人でもないのに勝手にぐわぐわ考えてしまったりしてしまっているお気楽な午後。
そういえば、「東村山音頭になぜ2丁目がないのか」問題とかが記憶によみがえり(あ、世代が。)
いやあれれ、なんでだったけな、と、その解が思い出せずに苦しみはじめました。ぐぐう、
(ご存じの方コメントでたすけてくださいいい。)
なんかだいぶんヘンですか?
↑ちなみにこのひとも東淀川高校出身です。
(でも宮原でも三国でもなくイスタンブールを歌ってます。)
というわけで、一昨日あたりからラジオ解禁となった三国駅をみちみち通勤くるまFMにて初拝聴。
ううんなるほど。評判どおりのaiko節に。
お見事!と喝采したいところヤマヤマなのですが、、そこでまっさきにこういうものを脳裏に浮かべてしまう。そんなサガが悲しいです。
しかしやはり、主人公の心象に対置させて「かわらないもの」のシンボルとして詠い込まれているその「まちなみぃ〜♪」が、今まさに跡形もなく真っサラに塗り替えられているという皮肉は、なんともいえない非情な感に襲われます。
いや、もしくは、aikoさんはそんなこと一切をふまえたうえで、青春をうたうという仮面のウラから、「面整備中心でやってきた20世紀型都市計画事業を批判する」とか「結果としてかえって画一的な駅前風景を大量生産してしまった『ふるさとの顔づくりモデル土地区画整理事業』の総括をしその責任を問う」なーんていう想いがぎゅと込められていたのだとすれば、であるならこれは、果てしなく壮大なラブソング。なのかもしれません、、、よね>そこのひと。
是非次作は「ほんとにかわらない」東三国駅あたりで「タコタコ」とか詠ってもらいたいです。
horkingさんから、
2005.02.10,01:29のコメント:
TBありがとうございます。
先日「三国駅」に行った時に事前にネットで調べたものと違い、高架化されてたり駅周辺もきれいになっていて驚きました。
aikoさんが見ても三国駅周辺は随分と変わってしまったんでしょう・・・。
satoruさんから、
2005.02.10,01:55のコメント:
はじめまして。
エントリの本文中に書いた「東三国駅」直下のたこ焼き屋さん(ここ)には、「aiko認定」の色紙がありました。
次お越しの際は是非!
我が家の「住宅ローン減税削減を前に、今マンションを買うべきかどうか」「一生借家でよいのか持ち家か」論争にトドメを刺してくれた一冊。
「子供に一つの部屋はいらない」という、あたりまえのようでいてしかし意外に目から鱗な思想が、かえってスマートに説得力をもって理解できます。
騙されたと思って(って思ってませんが)この路線で行こう。と納得させてもらいました。
いや、でも大枠これが正論なのだと思います。
しかし、実はまだこの著者の続編「夫婦をゆがめる間取り」は読んでないもんで。そこにチグハグなことが書かれてたら、、どうしましょうか。
※このエントリーはmixiのおすすめレビューから転記したものです。
よさんから、
2005.02.16,23:33のコメント:
ボクが言っても説得力はないですが、
一生、賃貸がベストでしょう。
住宅を売る立場にある人は口が裂けても、
賃貸が良いとは言いませんよね。
子供に個室を与えない方が良いというのは、
学生時代に誰かの授業で聞いたか、
何かの本で読んだか覚えてませんが、
ボクも初めて聞いたときは目からうろこでした。
欧米との生活スタイルの違いや、
個室の使い方の違いから、
日本では上手くいっていないという話だったかと。
ということで、うちでは子供が複数できても、
個室は与えない方針です。
satoruさんから、
2005.02.17,22:50のコメント:
ぬおっ、
あの「間取り」をどんな料理なさるおつもりでしょうか。
やはり、和室をツーツーにしちゃいますか?
云々と、自前before/after?に期待膨らみます。
うちも「2DK」のレシピをいろいろ考えとります。
たぶんこの時間がいちばんたのしーんだよね。
かれこれもう15年くらい「ヤンサン」よみつづけてるのですが、とうとうはじめて買ってしまった単行本がコレ。
どのページをとっても、あまりにくだらなさすぎるんですが、ただ、そこかしこに漂う作者の登場人物に向けた「愛」が、微妙にココロを揺さぶってくれます。
一歩離れて冷静に解釈してみると、「銭金」に近いテーストを感じるんですが、「ギター侍」的な古典的パタンも混ぜ込まれており、意外とイマを掴んでるのやもしれません。
惜しむらくは「ツキイチ連載」というスローライフなペースなんですが、それなりの「取材のため」だという解釈で、じっとお待ちいたします。
説明不要、「恥ずかしいオビのコピー」を乗り越えて、買うべし。
※このエントリーはmixiのおすすめレビューから転記したものです。
だって「5年分定期購読」しちゃってるもんで。
この時代、何年も先におんなじ仕事やってるとは限らないって教訓ですな、、ブツブツ、
といいながら、ひさびさにじっくりと文字を追いかけて読んでしまいました。今週号の「日経アーキテクチュア」。
たくさんのえらいひとたちが「21世紀を読み解く建築デザインの論点」とかいうことで、あーだこーだと好き勝手なことをおっしゃられてるんですけれども、そこからひとつだけ見出されるのは、「その各論を議論してなにかが導かれるのか?→結局それぞれの立場を主張し続けるだけじゃないの?」という無用な心配だけで。
あまりの噛み合わない度合いには、「このひとたちみんなであつまってアサナマやったらおもしろいのに」と、ひとり盛り上がっております。(ぜったいおもしろそう。)
個人的には「表参道は世界に誇る「建築ストリート」になり得るか。」の項で、同潤会アパートをぶっこわしちゃう世界のアンドーさんへケチつけたセンセイに、
デベロッパーの意見を尊重したんだよという返事があったというくだりが興味津々です。むふふ。
2005年。
少なくとも「定期購読」が切れちゃうまでは、こ〜んな感じで、外野から「にほんのけんちくシーン」を酒の肴にながめていきたいと思います。
○『大きな物語』の欠如ーーイデオロギーの衰退 により、これにかわって社会を支配しつつあるのは、「説話論的な因果律ーー分かり易す過ぎるまでに解体可能な『物語』の構造」である。
○「この因果律によって社会が容易く扇動される」という危険に抗するためには、この「構造」を説明し批評していかねばならない。
○そのために自分は近代文学の再構築をやっていくのだ。
…というのが本書の梗概です。
というようなことを、わざわざ「あとがき」に書いてくれてる親切な書。
この過程で反復して述べられている現代社会を睨む観点には、概ねなるほどと唸らされます。
ただ、最後で作者が「いまどういう使命に駆られてるのか」という点に着地してしまうところが、(当然それがあって構わないのですけれども)どうにも鼻についてしまうのです。
思うに、ちかごろ(=特に9.11以降、)80年代のサブカルを担って世の中を煽った「団塊のシタ」世代は、いまになって「どうやら自分たちがそこで社会を曲げてしまったのではないか」ということに気がついたのではないか。なかでもペンを持つモノたちは、その贖罪にと慌てて各々のハタケで社会分析を試みてるのではないか。
そしてこの作者もその一角にいるのではないか。と、ウガって捉えてみると、微妙にシラケてしまう、、、のは「ババ引き30代」のヒネクレでしょうか。
※このエントリーはmixiのおすすめレビューから転記したものです。
まだこんな風にブレイクする前に出されてた「100億稼ぐ仕事術」の続編。
それ以降、怒濤の出版ラッシュを続けられてますが、そこら一連の「こうやって経営を成功したんだぜ」モノとはこれは一線を画すものに思います。
ほりえもん的に合理性を追求した結果が『プロマネの最良のツールは典型のナレッジツールではなかった(=ただのメーラーだった)』というただその一点が興味深く考えさせられるところでした。
とはいえそれを「それだけいってる本」と見切ってしまえば、まぁたしかに「それだけ」。
あるいは、大阪−京都往復の電車(1時間弱)で最後まで読み切ってしまえる内容に1300円が見合うかどうか、といえばそれもなんともいえません。(つまり、1時間踏ん張れば立ち読みで済んじゃいます。ええ。)
ただ、流行りの「手帳術」やら「メモ術」本に手を出すくらいなら、それならば、こちらからお薦めしたいところです。
※このエントリーはmixiのおすすめレビューから転記したものです。
タイトルがタイトルだけに(「..以降の」ってからには)、相応の背景を当然のように前提とした議論になってるがため、デリダもジジェクも「なんやろそれ」と身構えてしまうような凡人には、のっけから「蚊帳の外」におかれてるような気にさせられます。
しかし、道中を踏ん張って通り過ぎた先にある、最後の章「社会はなにを失ったのか」は(蚊帳の外の輩にもかかわらず)納得させられるセンテンスが盛りだくさんで、何度も振り返って、そして自分の身を置くいろいろな「社会」にそれをあて填め、みずからの解釈を迫られること請け合い。
ただ、例えばそこに「mixiのような場」はどうやねん。とかやりだすと、たぶん寝られなくなるので、それは割愛しておきます。
※このエントリーはmixiのおすすめレビューから転記したものです。
「なぜあのひとたちとは話が通じないのか」
決して普遍的な理由があるわけではないのはじゅうじゅう承知していますが、それにしても苛立ちを募らせずにはいられない酷い返信の繰り返し。
これを前にしてわたしたち団塊Jr(って名乗りたくはないけどそうせずにはいられなくなる。)は、どんな言葉をもてるのだろうか。
とか、もうそういうことは考えてもきっと無駄だから、頑固なおじさんたちは放っておいて、もっとだいじなことを思索していこうよ。
という前向きな気持ちにさせてくれる一冊。
※このエントリーはmixiのおすすめレビューから転記したものです。
『「大きな物語」の欠如を、「データベース」の紡ぎあわせで満たそうとしている』というような社会観には、「なるほど割り切れるなそれ」と関心。
それがどこへ繋がるのかという示唆までは含まれていませんが、少なくとも「いまの社会」を噛み砕く一つの視点として、有用な解釈だと思います。
このあたり(表層の向こう側)の成り立ちを何らか見定めることなしに、例えば「まちづくり」なんて語れるはずがないわな、、と思い続けるこの頃。
おかげさまで教科書通りの計画論なんてみんな上滑りしちゃってるのです。[あ、ココはレビューと関係ない愚痴ですみません。]
☆どうでもいいですが、この「講談社現代新書」さんの新しい装丁。安っぽくてゲンナリです。
※このエントリーはmixiのおすすめレビューから転記したものです。
いちばんさいきんのシングルが「CCCD」で出てきて、これからどうなっちゃうの?と心配してたのですけれど[注※ウチの「へなちょこaiwa製DVDプレイヤ」ではCCCDがうまく再生できないのです。]、スラッシュドットさんのこのタレコミ(「曲をプレゼントしてください 」)で
プロデューサー佐藤剛がひきいるFIVE-Dでは、音楽へのありったけの熱情を込めて創りあげた自分たちの作品を、いちばんいい音の状態で聴いてほしいので、次のアルバムも、今後も、現状のシステムのCCCD(コピー・コントロールド・CD)でリリースするつもりはありません。というご立派な宣言に出会いました。
そうこういってる間に、なあんと「たかたさん」が画面から消えてしまい、思いがけず寂しい夜を過ごす年度末の日々。
今月の「創」では
「東京都条例改定で強まる出版規制」という話題に注目。
ただ「噂の真相」亡き後、その何割かの読者層はこちらに雪崩れ込んできてくれるのではないかとひそかに期待しております。(別に「部数増」を期待してるのではなく、単に「近くの書店(少なくとも「宮脇書店」さん程度)ででも並んでくれればいいな」と、いう希望なのですが。さて、)
satoruさんから、
2004.03.13,04:10のコメント:
よみかえしてみるとヤタラ「カッコカッコ」を連発しておりますが、これは年度末特有のお仕事の副作用ということでお目こぼしの程。
あちらこちらのblogをぐるぐる見回してるこの頃、妙にたくさんのばらばらの場所で見かけるなぁと気になっていた「畠山美由紀」さんという名前。
気になりだしたら最後とまらなくなってしまいまして、それぞれの評判を読んでしまうのですけれど、これがまた「右にならえ」でみなさんが「よい」と絶賛してるんですね。
で、とうとう、それまでに一曲も耳にすることなく「blog」だけを頼りにポチと注文。
おそるおそる「おためし」してみましたが、なるほど納得。私も右にならわさせていただきます。凄いです。他のアルバムもポチっとしそうです。
さて、さかのぼって、何故この人の名前が、blogでよく見かける(ような気がする)のか?、というか、「よく見かける」というのは本当か、気のせいか。
これがなんとも突き止められずにいるのですけれど、ただひとつ、RSSを対象にした「Bulknews」さんの「BulkFeeds」というサーチエンジンで調べてみたところ…(きょう現在)
「畠山美由紀」…112件。つまり少なくとも112箇所で何らかのコメントがされてrssに配信されてるというわけです。112。これがどの程度のものかということで、有名なひとたち(←思いつきで選択したので深い意味はありません。)と比較してみますと、
「Misia」…223件
「小泉純一郎」…184件
「中島みゆき」…94件 「松任谷由実」…64件
ちなみに
「ドラえもん」…785件は、ここでは別格のようで。
kattさんから、
2004.02.12,02:06のコメント:
あー結構うちのblogが引っかかっていると思うです。
去年からライブ行ったり、レコード買ったりして、その都度書いているんで。
satoruさんから、
2004.02.12,02:16のコメント:
瞬間のレスポンスありがとうございます。(ちょっとびっくりしましたが。)
もういちど巡回した先々をたどりなおしてみましたが、たしかに、
kattさんのblogも既読になってまして、充分影響を受けてるようです。「鳥肌です」とか、みなさんのそういう言葉の積み重ねが「ポチ」に繋がったということで。
またいろいろ拝見させていただきます。
住基カードやらRFIDやら、もろもろのちがごろにぎやかしい「セキュリティ」にかかわる問題をとりまくものごとの考え方について、日頃からたいへんお勉強させていただいている高木浩光さん[←こちらはオフィシャルなサイトです]のはてなダイアリーのきのうのページにて。
(その本論とはぜんぜん関係ないのですが)またまたモタレ気分に風を吹き込んでくれる一節に出会いました。
「バカの壁だ」と口に出そうになったら、馬鹿だからそう口にしようとしているのではないかと、自分を疑ったほうがよい。うーん。あとの一文はご愛敬ですが、まさになるほどです。(←「なるほど」って書いてしまうのはわたしがバカだからだ。…ということにやっぱり陥っちゃうのですけれど。)
そうしないのはまさにバカの壁だ。
…という主張も馬鹿が原因だ。…なんて書くのも馬鹿馬鹿しい。なんつったりして。
どうもここのところ、あちこちで、あたりまえのものごとが「バカの壁」に喩えられる場面に遭遇して、その都度なんとなく「それでいいのかな?」と(あの「SMAPさんメッセージ」とおなじくらい←引っ張りすぎ?)ココロに引っかかるところがあったのですが、なんとなくこのセンテンスからその手がかりを掴んだような気がします。
しかし、ここで気をつけなきゃいけないのは、だからといって「あたりまえのものごとをバカの壁に喩えてる上司こそバカの…」と考えてしまった時点で「そんな自分こそバカだ」スパイラルに填ってしまうということです。相当難解です。
ただしい対処は「上司の喩え話は、ぜんぶ受け流して解釈しない。」でよろしいんじゃないか?と、思ったりもするのですが。それは若干スジが違う気も。
まあちゃんが買ってきて書棚に飾られてあった「安住の地(全二巻)」。ペロっと読み切ってしまいました。
山本直樹さんは、ほとんどマンガ読まないわたくしの、数少ない「よまれるひと」なのです。(なにしろ、オンタイムで「森山塔」時代からなにかと…[以下割愛])
おそらくコレ、その前の「ビリーバーズ」の続編的な位置づけかなと思われるのですが、引き続き、その何とも割り切れない世界観と、登場する人物の「たたずまい」には圧倒されます。
そのうえで、まあちゃんはシキリに「絵が巧い」を連呼してるのですが、その評価は自分にはわかりません。(でも確かに、似たような「絵」は見かけないです。←確かこれ全部PC上で描かれてるんだと聞いたことが。)
もうさかのぼれば、7〜8年くらい前。まだインターネットをはじめたばっかりの頃によく参加してたホームページ(というのはもちろん、あのへんのジャンルのところですが…)を主宰されてた「堀江貴文さん」というひとの著書。
そのころは、なんどか直接eメールのやりとりもさせていただいた記憶があるのですが、気がつけば、とっても有名な急成長ネット関連企業の社長さんです。いまや「おおがねもち」さんなのです(おそらく)。
で「100億稼ぐ仕事術」だそうなんですが、ま、中身はペロッと「自分はこんなポリシィで仕事やってます。うまいこといってます。儲かってます。+ついでにウチの商品も買ってくださいね。」みたいな、軽い感じのよくあるビジネス本です。
と、ここまではたわいのないところなのですが。
ちかごろは、ご自身でblogも書かれてるらしいというウワサを耳にしたので、どれどれ…ググッと検索してみたところ、なにやらついでにもの凄く古いウェブサイトを発見。
そこでは1998年の1月に、それから3年後の2001年の見通しについてこんなコメントされてます。
○CATVインターネット、xDSL、などの普及、低価格化まだよのなか、みなさん「Windows95」で、ピーガガーとモデムで繋いでた頃に、これだけの見通しをたてられてるところ(特に「…しないだろう」のくだり)に感服です。100億稼げる本質はこちらの方にあるのでは?と思ってみたり。
○衛星インターネットは普及しない
○パソコンの低価格化(数万程度)による家庭への普及。
○WebTVタイプのものは普及しない。
○ボーダレス化が各分野で進むものの、東京の一極集中は変わらない。
○SOHO環境が出来そうに見えて出来ない。
○電話は長距離サービスから始まって、インターネットを使った電話のみになっていくだろう
○全てのビジネスで、電子メールが使われるだろう
ちなみにこのコラム、見事に「読み違えてる」ひとも多々あってたのしいです。
このお正月休み中にさいごまで読み切れたのは1冊だけ。
取り憑かれたように追い続けてる森達也さんの「ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー」という「おはなし」です。
ほんとなら、こんな歴史モノは「ノンフィクション」とか「小説」とか「伝記」とか、そういう括りがあってしかるべきなのですが、やっぱりこれは「おはなし」がぴたり。
読み続けるにつれ、たしかに内容は「ベトナムの歴史から消えた王子さま」を追いかけてるのですが、森達也が「おはなし」してくるのです。例によって、例の調子で、例のとおりに。
この「クドさ」が耐えられない方には、きっとそれはもう「うっとおしく」思えてならないでしょう。
でも、個人的には、嫌いじゃないです。なんどもなんども、「ちょっと枯れたような」、「いまどきの若い人がついてこられないような」お仕事の理想論を、シラフなのに繰り返して語り続ける(でも、そこがなんとも憎めない)出世路線から微妙に外れちゃった「課長さん」みたいな、そんな感じ。(←部長じゃなくて課長って感じなのです。あくまでも。)
「うんうんそうですよね。(でも内心は「で、どうすればいいんですか課長!」と思ってる…。)」そんな相づちをうちながら読み進めていくと、気持ちがいいのです。
さいごの落としどころなんかは、前作の課長そのもので、その実は「紅白のオオトリでSMAPさんがもっともな感じでうまいこといってみたメッセージ」と、何ら変わりないことのようにみえてしまいます。
ヒラ社員の僕には、まだうまくはいえませんが「それはただ「うまいこといってる」だけで、本質は違うんじゃないか?」と。
本能的にそんな拒絶反応があるのですが。
ヨゴレ過ぎでしょうか。
いつも読んでる「ほぼ日」の山田ズーニーさんのコラムにて。
たいがいしょっちゅう「うーむ」と唸らされる示唆があっていつもたのしいのですが、新年早々のみじかなところで、激しく目から鱗が剥離してしまう一節に出会ってちょっと感激。
おせち漬けでもたれ気味の胃腸の内壁が、なんとなしすっきりした…、気が。
Lesson179 答えてはいけない質問 [抄]「いやぁそうじゃないんだけど、なんでかそう答えてしまったんだなぁ」というようなときの「問い」は、得てして「そういう問題意識をもってない」「自分はそういう視点で物事を考えていない」というもので、なのにそこを不意を打つように問われて、思いがけず口から答えてしまった。と。
…だが、相手からの質問には、
答えていい質問と、答えてはいけない質問がある。
そのことに、私は、やっと気づいた。
「問い」は、その人の持つ、問題意識そのものだからだ。…
という最強の予備知識を装着しつつ「某県民向け○○についてのアンケート」の文案作成という悪事に手を染めるこの頃。
のん。さんから、
2004.01.08,22:12のコメント:
私も目から鱗で、思わず「お気に入り」に入れました。
・・・
人から、話をふられると、ついつい
「何か面白いことを言わねば・・・オチをつけねば・・・」
と頑張って(性分?)しまう私。
これからは、
「そのネタではオチは思いつきません!」と
正直に降参宣言しようと思います。
て、ちょっと違うか。
さとる。さんから、
2004.01.10,02:31のコメント:
うーん、と。
微妙にコンサル的なレトリックのトリックが潜んでるように思えるのですが、
「オチ」と「問い」の違うところは、
「それを誰が求めているか」というところで。
「問い」は、もちろん、「会話の相手」なのですが、
さてその「オチ」は?