住基カードやらRFIDやら、もろもろのちがごろにぎやかしい「セキュリティ」にかかわる問題をとりまくものごとの考え方について、日頃からたいへんお勉強させていただいている高木浩光さん[←こちらはオフィシャルなサイトです]のはてなダイアリーのきのうのページにて。
(その本論とはぜんぜん関係ないのですが)またまたモタレ気分に風を吹き込んでくれる一節に出会いました。
「バカの壁だ」と口に出そうになったら、馬鹿だからそう口にしようとしているのではないかと、自分を疑ったほうがよい。うーん。あとの一文はご愛敬ですが、まさになるほどです。(←「なるほど」って書いてしまうのはわたしがバカだからだ。…ということにやっぱり陥っちゃうのですけれど。)
そうしないのはまさにバカの壁だ。
…という主張も馬鹿が原因だ。…なんて書くのも馬鹿馬鹿しい。なんつったりして。
どうもここのところ、あちこちで、あたりまえのものごとが「バカの壁」に喩えられる場面に遭遇して、その都度なんとなく「それでいいのかな?」と(あの「SMAPさんメッセージ」とおなじくらい←引っ張りすぎ?)ココロに引っかかるところがあったのですが、なんとなくこのセンテンスからその手がかりを掴んだような気がします。
しかし、ここで気をつけなきゃいけないのは、だからといって「あたりまえのものごとをバカの壁に喩えてる上司こそバカの…」と考えてしまった時点で「そんな自分こそバカだ」スパイラルに填ってしまうということです。相当難解です。
ただしい対処は「上司の喩え話は、ぜんぶ受け流して解釈しない。」でよろしいんじゃないか?と、思ったりもするのですが。それは若干スジが違う気も。