2006年03月13日

耐震強度の強度理解度問題。

いつぞやの耐震強度の強度偽装問題が思いのほかご好評をいただいたもので。調子に乗って第二弾。

問題です。

「耐震強度が1以上ある」って、つまりどういうことですか?
どうでしょう。
「たってしまわれた」でしょうか。
正解は、
「震度6強(地域によっては震度7)の地震でも倒壊しない」とされている強度があること。
ですね。
「はい、赤の方あと1問のご辛抱。」
では次の問題、沢木さんよろしく。
では「倒壊しない」ってどういう意味?
どうでしょう。
うーん、どなたもおこたえにならない。
あーっと。赤の方、わかっておられたか。。

いや、ここなんですよ。実は「あまりわかってないんじゃないの?」と思ってやまないキモはここ。
「倒壊しない」というのは「命はたすかる=死なない」とほぼ同義として用いられている言葉であって、決して「損傷しない」とか「大丈夫」とか「地震が来てもずっと住み続けられる」とか、そうは言ってはくれていません。
そんな風に解釈してはいけないのです。(補足:「住まいとしての機能が維持できる」と明言してくれているのは「震度5まで」です。)

つまり、いくら「耐震強度が1以上あって、法の基準を満たしている」といっても、「地震で大きな損傷を受けたので、補修は不可能だという判定を受けて、建替えをすることになって、二重ローンを抱えることになる」っていう可能性は、充分にあるわけです。そこまで法は担保してくれていないのです。

しかも、この「震度6強でも倒壊しない」は、さながらアタックチャンスのように「1回だけ」って条件付きなんですね。
まもなくやってくる「東南海・南海地震(+東海地震)」は、同時発生の可能性が高いことが指摘されているわけで、震度6+震度6が数時間の間にどどーんと続いてキタときには、こんどはもう「倒壊しない(=命はたすかる)」すら、約束されてないわけです。

で、間違ってませんよね。>並み居る一級建築士サマ。
構造力学を二度やったトラウマを抱えるわたしには、どうしても「住宅ローン」を抱える覚悟ができません。
命が惜しいのではなくて、決して0ではない「二重ローン」というわずかなリスクを背負う勇気がないのです。

…というわけで、我が家は未来永劫、賃貸暮らし宣言。
あ、もとい。
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△投稿者 satoru : 18:58 | これにコメント (2) | これにトラックバック


2006年02月02日

初夢の付箋はまだほかにも。

さらには、こういうシーンも。

…[佐藤]何かひとつの標語でそれを頼りに何かをつくっていこうとすること自体が完全にまちがっている。
そうすると、ある面から見たらそれはいいけれども、トータルで見たときには完全におかしいじゃないかということになる。
[内藤]私も標語はとても危ないと思います。「サステナビリティ」、「安全、安心」、「景観」とか。そうした言葉の手前ではある種の思考停止をしているわけで。それをやっている限りは一般の人の共感を得られないと思います。…
[建築雑誌 2006年1月号 p14 佐藤滋さん、内藤廣さんの発言]
もはや、「おたべにんぎょう」の如くうなずき続ける限り。
調子に乗って踏み込んでみるならば、そこへ「震災に強い」とか「ひとにやさしい」とか「グローバリズム」とか、、突っ込んでみたい標語は山のようにあるわけですね。
それを、そのコトバを、得体の知れない(=がデフォルトで「正しい」とする)パッケージとして括ってしまうのではなくて、常に「解体しながら考える」ということが、社会のまんなかに到達しつつあるわたしたちの使命であるはずです。

あれ?まてよ。
「サステナブル建築」とか「景観デザインのフロンティア」なんて表題をこれまで毎月表紙に掲げて、「ある面から見た」議論ばかりを組み立ててきたのは、ほかでもない、「建築学会」さん。あなた自身のことではないですかい。と、仮に思ったとて、それは声には出しますまい。

なんせ今月から新体制なんですから。
流行りにのっかって建築学会を「ぶっ壊す」方向でぐちゃぐちゃにしていただくような展開を激しく期待しております。
あ、そんときに「改革」Tシャツのような「標語」は御法度となりましたのでお間違えなく。


△投稿者 satoru : 20:35 | これにコメント (0) | これにトラックバック


2006年01月30日

ふたつのニュースにならべてみたら。

あ、「ならべる」。っといっても、こんな風に「ならべる」わけではありません。餅は餅屋ってことで、こちらは続報に期待。

かれこれ二週間前、「是非読むべし」と書いた「建築雑誌」の巻頭鼎談。
あんなに「凄いっ」「感激っ」と叫んでみたのに、おもいのほかまさか、どなたからも皆目レスポンスが寄せられない。という状況を、冷静に斟酌してみるに、あ~、そうそういうことですか。もしかして。そこいらの建築士さんたち、退会しちゃったんですか。まさかね。んなわけないよね。って、そういう愚痴はどーでもいいのですが。

たとえば。あのとき、思わず付箋を貼ったフレーズのひとつはこんなところでした。

…だれがやっているかがわかるから投資するという話がありましたが、それは信頼できるだれか、だからであるということですよね。構造の世界はまさにそうで、だれが構造設計したのか、だれが責任者になって施工したのかが質にすごくかかわってきます。それが社会としては非常に見えにくくなっている。もっと見えてくるように仕組みもつくっていかなければいけないし、構造も、これは私がやっているんだ、こういうふうにしてやっているのだということを発言し、対話することが非常に求められていると思いますね。
[建築雑誌 2006年1月号 p13 神田順さんの発言]
繰り返しますが、あの事件が話題となるより前のコメントです。お見事です。

そしてこの週末、もう一度じっくり読み返してみると、あれれこんなところにも気がつきました。

…新しい時代を前にして、建築の役割は何か、ということです。要するに、基本的に人間の尊厳とか誇り、希望を建築がつくれるかどうか、ほとんどそれだけが問われているのではないかと思います。グローバリゼーションとか言っているけれど、そのようなものは人間の尊厳を保障しないわけです。そうではなくて、つましくてもそこに暮らしている人が本当に自分の誇りを持てるか、それを支えるために建築があり、まちがあるのではないか。…
[建築雑誌 2006年1月号 p15 内藤廣さんの発言]
はた、と立ち止まって、「建築」を「会社」や「企業」に置き換えてみたのです。そうですよ。たぶんそういうことなんですよ。
こちらもまた、その事件が話題となるより前のコメントです。拍手です。


△投稿者 satoru : 19:21 | これにコメント (2) | これにトラックバック


2006年01月20日

そこにあるのは、どんな感。

勝谷誠彦さんが「スーフリ」に喩えた一方で、
東浩紀さん(のお仲間さん)はオウムになぞらえているみたい。

うーん。なるほど。

しかし、「95年」から数えてきっと「05年」が区切りになって、これまた「なんとかの10年」であったのだよ。っと唱えてみたかった一派の方々にとって、あと半月でも早くこれが来てたなら、はいきたビンゴ。ってことなんでしょうが。
それは、誤差の範囲ってことでよい気がします。

さて。これがほんとうに節目なんだよと仮定して、背中の10年と目の前の10年を首振って見比べてみたとき、まったく絶望的な観測が圧倒的に充満している一方で、意外とおもしろい舞台の転換もあるのでは?という期待もほんの微かにあるような感。(不思議なことに、かの失脚まで、そういう予感はまったくもってなかったのですけれど。ここで微妙に沸いて出た変な「期待」はどこからきたのでしょう?=たぶんそれはあまり解釈してみたくない。)
そして、そのまさかまさかの僅かな確率が現実のモノとなったときこそは、ウチの会社が「勝ち組」になって誇ってることでしょう。(って、まさかそれだけはありえないか。)



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△投稿者 satoru : 19:08 | これにコメント (0) | これにトラックバック


2006年01月13日

そのギョーカイに光明。か?

「広島とんぼ帰り出張」が急遽決まり、えいやっと新幹線に乗ったので、新聞まんが雑誌文庫本etcの「時間潰しアイテム」の準備がなし。
なんかなかったかな…と、カバンをホジクると、もう何ヶ月も表紙すらめくってなかった「建築雑誌」が眠っていた。

…門外漢の方々に説明しておこう。
「日本建築学会」さんは、創立来「○○学会誌」というよーなネーミングを断固受け入れず、頑なに学会誌の名前を「建築雑誌」と名乗り続けて「120年」!。
おかげでこのギョーカイで、「建築雑誌読んでる?」と訊いたりすると、それが固有名詞なのか一般名詞なのかの判別がつかない。という迷惑千万なことになっているのです。…
もう辞めよう。今年で今月で辞めよう。と思い続けつつ、銀行の自動引き落としを止める処理がただ面倒くさいというだけの理由で、また今年も配本されてしまったこの雑誌。
どーせまたつまらない学者さん論文が散りばまってるんでしょー。と思いつつ見開きからピラピラめくって数分。のぞみのE席で「おおっ」とまじ声を漏らしてしまいました。

ちょっとしたショック。かなり感激。付箋貼られまくり。なかなか凄いことになってます。
さらにはコレが、あの事件が公になるよりも前に編まれていたものだってことにも気がついて、感心しきり。

とりあえずこの新装丁のあいだは会費払ってみてもいいよ、という気になりました。

んでどこがどうよかったのか。という核心については、、もう体力が尽きたので、またおいおい表明したいと思います。
でもお手元で同じように眠らせてる方々には、「今月号の特集(初夢-なお日本で造らねばならない建築)は是非読むべし」。とお薦めしておきます。


△投稿者 satoru : 01:26 | これにコメント (0) | これにトラックバック


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