2006年01月30日

ふたつのニュースにならべてみたら。

あ、「ならべる」。っといっても、こんな風に「ならべる」わけではありません。餅は餅屋ってことで、こちらは続報に期待。

かれこれ二週間前、「是非読むべし」と書いた「建築雑誌」の巻頭鼎談。
あんなに「凄いっ」「感激っ」と叫んでみたのに、おもいのほかまさか、どなたからも皆目レスポンスが寄せられない。という状況を、冷静に斟酌してみるに、あ~、そうそういうことですか。もしかして。そこいらの建築士さんたち、退会しちゃったんですか。まさかね。んなわけないよね。って、そういう愚痴はどーでもいいのですが。

たとえば。あのとき、思わず付箋を貼ったフレーズのひとつはこんなところでした。

…だれがやっているかがわかるから投資するという話がありましたが、それは信頼できるだれか、だからであるということですよね。構造の世界はまさにそうで、だれが構造設計したのか、だれが責任者になって施工したのかが質にすごくかかわってきます。それが社会としては非常に見えにくくなっている。もっと見えてくるように仕組みもつくっていかなければいけないし、構造も、これは私がやっているんだ、こういうふうにしてやっているのだということを発言し、対話することが非常に求められていると思いますね。
[建築雑誌 2006年1月号 p13 神田順さんの発言]
繰り返しますが、あの事件が話題となるより前のコメントです。お見事です。

そしてこの週末、もう一度じっくり読み返してみると、あれれこんなところにも気がつきました。

…新しい時代を前にして、建築の役割は何か、ということです。要するに、基本的に人間の尊厳とか誇り、希望を建築がつくれるかどうか、ほとんどそれだけが問われているのではないかと思います。グローバリゼーションとか言っているけれど、そのようなものは人間の尊厳を保障しないわけです。そうではなくて、つましくてもそこに暮らしている人が本当に自分の誇りを持てるか、それを支えるために建築があり、まちがあるのではないか。…
[建築雑誌 2006年1月号 p15 内藤廣さんの発言]
はた、と立ち止まって、「建築」を「会社」や「企業」に置き換えてみたのです。そうですよ。たぶんそういうことなんですよ。
こちらもまた、その事件が話題となるより前のコメントです。拍手です。


△投稿者 satoru : 2006年01月30日 19:21

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このエントリーへのコメント


▽raga さんから、2006年01月31日 06:26のコメント

私も同感です。
こういった話は様々あるのですが、
職場に向かう時間もせまっているので
次回、書き込みします。


▽satoru さんから、2006年02月02日 21:29のコメント

らがさん>
ぜひ次のエントリーにも「共感」してやってください。




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