その10年、そのセカイは,そのギョーカイは,そのガッカイは、結局何をなし得たのか。
いろいろと綺麗な<総括>が踊るきのうきょう、しかしあらゆる装飾を斬り捨ててそれらをじっくりと読み解けば、やっぱりそれは「だれも、なにも、できてない」のが真実なのではないか。
その10年。自分にとって、そのセカイ,そのギョーカイに身を投じてからの10年は、学生の頃に胸いっぱい抱えていた理想から、「なんだこれ」「なんだこれ」と、酷い現実に覚醒され続けた失望の10年だったように思う。いま振り返ってみれば。
そして、そのセカイからいちどは足を洗ったかのように思えた時期もあったのですが、何の因果か、まわりまわって、気がつけば今も、今日も、表向きは「防災のため」「人命を救うため」という荘厳な命題のもとに、しかしその大半は首を傾げながら、キーを叩き続け、それで飯を喰わせてもらっている。
シンブンの主張は,テレビのコメントは,センセイの言葉は,ジブンが書く文章は、本当に的を得てるのか。
それは違うんじゃないか。
それにはウラがあるんじゃないか。
それはウソなんじゃないか。
実は、それよりも大事なことがあるんじゃないか。
と、日々自問自答しているたくさんのことを、これからは、11年生からは、できる限りの場面で、吐露していきたいと思う。
そこには、それで罪滅ぼしになるかもとか、そんな厄介な計算はほんとにこれっぽっちもなく、
ただ終わりのない「なんだこれ」に、もうホトホト疲れちゃったもので。